about
*古都徒然草*
Writer:佐藤
仙台市出身、2年間の関東生活を経て、2009年から念願の京都暮らしを開始。ホームは勿論、アウェイも津々浦々。
代表は(松井大輔次第で)行けたら行ってます。
2003年の暮から細々と書き綴っています。
2010年、超不定期更新中。
ツイッターでは、サンガのことだけでなく、サッカー、近現代文学、スピッツのことなどいろいろとつぶやいてます。
しばらくは日々のつぶやきをまとめたブログになってしまっています。すみません。。
ツイッターID kttsr_satoh
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きのう、三ツ沢に顕花に行ってきました。
更新遅くなってしまってすみません。
ホームゴール裏のすぐ下に設置された献花台。
7時頃に着いたが、すでにたくさんのお花でいっぱいになっていた。
そしてその上にはアレモンの写真、ユニフォーム、練習着。
一緒に供えられたトラメガに「オマエニクワセルタンメンハネェ」と貼り付けられている。
急に実感というか、様々な思いがこみ上げてきて、手を合わせても、なんと言葉をかけていいかわからなくなってしまった。
あいつのゴール、プレー、笑顔はもちろん、わけのわからんダンスやら、昇格した時のはしゃぎっぷりやらが次々に浮かんできて。
次はいつ帰ってくるんだよ、どうせまたひょっこり城陽に現れたりするんだろ、なんて思ってしまったり。
花と一緒に供えたカードには「ありがとう」と書けたけど、面と向かって言ってしまったら本当に「お別れ」のような気がして、怖くて口に出せなかった。
絶対また日本に戻ってくると信じていた。
それがサンガじゃなかったとしても、あれだけの選手を、他のJチームが放って置くはず無いと思っていた。(実際札幌が獲得に動いていたらしいと聞きました)
それでいつかうちのライバルになったら嫌だなあ、なんて言って笑っていたのに。
こんな再会になるとは思っていなかった。
献花台の脇には、横浜FCのビッグフラッグにメッセージを書くコーナーもあった。「ありがとう」「愛してる」「永遠の仲間」といったたくさんのあたたかい言葉の数々。
そして「アレモン!!アレモン!!アレモン!!」と書かれた弾幕が。
横浜でも、本当に本当に愛されていたんだな、と胸が熱くなった
ゴール裏への坂道の手前で、昨年の昇格ドキュメントDVDが流れていた。
うちが降格争いしていた頃、スコア速報を見ては「あいつまた決めてるよ~」と複雑な気持ちになる一方で、「フロント見たか、これがアレモンの実力だ」と誇らしく感じていた。
2005年のうちにいた時のように、いや、更にパワーアップしてゴールを狙うアレモンがそこにいた。
あいつのプレーはいつもサポーターを勇気づけるプレーだった。苦しんでいるとき、負けているとき、人一倍闘志を剥き出しにしてチームを鼓舞していたのがアレモンだった。
mitsuzawa.netのワッショイさんに声をかけて頂き、昨年の横浜FCの激闘について、横浜でのアレモンについて、その他様々なお話を伺った。昨年は途中加入で18ゴールも奪ったということを初めて知り、数年後どんな恐ろしい選手になっていただろうか、と思った。
その場がブラジルでも、日本でも、きっと素晴らしい選手に成長しただろう。
一時間半ほど三ツ沢にいた。
献花して暫く経ったら、また信じられなくなってきた。
スタジアムから、あいつがニカニカ笑いながら出てくる気がした。
我々はそれを待っているだけのような気がした。
あいつは天国で笑いながらボールを蹴っているんだろう。遮二無二ゴールを決めて、へんなパフォーマンスを披露しているんだろう。
思い出がたくさんありすぎて書ききれません。パウリといっつもキャッキャ騒いで、リカがそれを見守って。草津戦でのPKの取り合いや、アワードパーティーでの号泣(にも関わらず翌年の城陽には彼の姿が)、ゴキブリダンス、様々な映像メディアでの暴走ぶり、・・・本当におもろいことばかりだった。
ありがとう。
絶対にJ1復帰するから、見守っててくれ。
横浜FCの残留ももちろん。
アレモンの紫魂は永遠だ。
まずは明日、山形戦。何が何でも勝たないといけない。
天国のAmigoのために。
一昨年の甲府戦の写真です。やや遠いですが・・・(クリックで拡大します)
アレモンのこのポーズが大好きでした。

更新遅くなってしまってすみません。
ホームゴール裏のすぐ下に設置された献花台。
7時頃に着いたが、すでにたくさんのお花でいっぱいになっていた。
そしてその上にはアレモンの写真、ユニフォーム、練習着。
一緒に供えられたトラメガに「オマエニクワセルタンメンハネェ」と貼り付けられている。
急に実感というか、様々な思いがこみ上げてきて、手を合わせても、なんと言葉をかけていいかわからなくなってしまった。
あいつのゴール、プレー、笑顔はもちろん、わけのわからんダンスやら、昇格した時のはしゃぎっぷりやらが次々に浮かんできて。
次はいつ帰ってくるんだよ、どうせまたひょっこり城陽に現れたりするんだろ、なんて思ってしまったり。
花と一緒に供えたカードには「ありがとう」と書けたけど、面と向かって言ってしまったら本当に「お別れ」のような気がして、怖くて口に出せなかった。
絶対また日本に戻ってくると信じていた。
それがサンガじゃなかったとしても、あれだけの選手を、他のJチームが放って置くはず無いと思っていた。(実際札幌が獲得に動いていたらしいと聞きました)
それでいつかうちのライバルになったら嫌だなあ、なんて言って笑っていたのに。
こんな再会になるとは思っていなかった。
献花台の脇には、横浜FCのビッグフラッグにメッセージを書くコーナーもあった。「ありがとう」「愛してる」「永遠の仲間」といったたくさんのあたたかい言葉の数々。
そして「アレモン!!アレモン!!アレモン!!」と書かれた弾幕が。
横浜でも、本当に本当に愛されていたんだな、と胸が熱くなった
ゴール裏への坂道の手前で、昨年の昇格ドキュメントDVDが流れていた。
うちが降格争いしていた頃、スコア速報を見ては「あいつまた決めてるよ~」と複雑な気持ちになる一方で、「フロント見たか、これがアレモンの実力だ」と誇らしく感じていた。
2005年のうちにいた時のように、いや、更にパワーアップしてゴールを狙うアレモンがそこにいた。
あいつのプレーはいつもサポーターを勇気づけるプレーだった。苦しんでいるとき、負けているとき、人一倍闘志を剥き出しにしてチームを鼓舞していたのがアレモンだった。
mitsuzawa.netのワッショイさんに声をかけて頂き、昨年の横浜FCの激闘について、横浜でのアレモンについて、その他様々なお話を伺った。昨年は途中加入で18ゴールも奪ったということを初めて知り、数年後どんな恐ろしい選手になっていただろうか、と思った。
その場がブラジルでも、日本でも、きっと素晴らしい選手に成長しただろう。
一時間半ほど三ツ沢にいた。
献花して暫く経ったら、また信じられなくなってきた。
スタジアムから、あいつがニカニカ笑いながら出てくる気がした。
我々はそれを待っているだけのような気がした。
あいつは天国で笑いながらボールを蹴っているんだろう。遮二無二ゴールを決めて、へんなパフォーマンスを披露しているんだろう。
思い出がたくさんありすぎて書ききれません。パウリといっつもキャッキャ騒いで、リカがそれを見守って。草津戦でのPKの取り合いや、アワードパーティーでの号泣(にも関わらず翌年の城陽には彼の姿が)、ゴキブリダンス、様々な映像メディアでの暴走ぶり、・・・本当におもろいことばかりだった。
ありがとう。
絶対にJ1復帰するから、見守っててくれ。
横浜FCの残留ももちろん。
アレモンの紫魂は永遠だ。
まずは明日、山形戦。何が何でも勝たないといけない。
天国のAmigoのために。
一昨年の甲府戦の写真です。やや遠いですが・・・(クリックで拡大します)
アレモンのこのポーズが大好きでした。
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